体験記 コロナ感染者と暮らした6日間!
旅行ブログのはずが…
このブログ、もともとは旅行ブログだったのですが、コロナのせいで旅行なんてもっての外みたいな世の中になってしまったので、すっかりご無沙汰状態になってました。
でも、今日、ふと思いついたんです!今みんなの為になるのはどんな記事か…という事を。
やっぱりコロナをどう予防するか?の一択なんじゃないかと。
幸か不幸か、実は我が家の20代の息子は元感染者で、4ヶ月前に感染し、今は無事に生還してます。そして、私をはじめ、同居の家族(主人、娘、私)は、感染者の息子と丸6日も一緒に暮らしていたのに、全員感染する事なく今日に至っているのです。
というわけで、この体験記「コロナ感染者と暮らした6日間」を皆さんと共有することによって、少しでも誰かの役に立てればと思い、ブログを書くに至りました。
〜もくじ〜
- まさに青天の霹靂!息子の感染
- PCR検査
- 濃厚接触者の家族も全員PCR!
- 息子の隔離
- 隔離施設での生活
- 晴れて生還!
- しぶとい後遺症
- 我が家の感染防止対策
- なぜホテルは逼迫していたのか?
- 感染者と暮らして学んだこと
〜今回のコロナ騒動の流れ〜
1月2日 息子が感染者と飲み会。
1月3日 息子帰宅(昼夜、家族と一緒に食事)。
1月4日 息子が濃厚接触者になる。
1月5日 息子発熱、喉の痛み開始(38℃台)。
1月6日 息子PCR検査。
1月7日 息子陽性確定。家族が濃厚接触者に。
1月9日 家族PCR検査。息子ホテル隔離開始。
1月12日 家族全員陰性確定。
1月16日 息子ホテルから帰宅、隔離期間終了。
1月23日 家族自粛生活終了。
まさに青天の霹靂!息子の感染
それは1月4日のことでした。お昼にスパゲティを作っていると、息子がようやく起き出してきて、いきなり、「さっき、昨日の朝まで一緒に飲んでた友達から電話があって、たった今、コロナ陽性が確定したって」と言うのです!
一瞬、我が耳を疑いましたが、息子は、前の前の晩に友達3人と友達の家で新年会と称した家飲みをして、昨日の朝、帰宅したのですが、どうやら、そのメンバーの1人A君が感染していたということでした。
A君は、保健所から陽性の判定を受け取って、真っ先に息子に連絡をくれたのです。
A君は「これからいろいろ事情聴取があるけど、もしK君(息子)が都合が悪いなら、保健所には名前を出すのをやめようか?」と言ってきたそうです。
確かに、ここで名前を出されると、少なくとも濃厚接触者になってしまうので、仕事にも行けなくなるわけです。
私は咄嗟に、いろいろメリットとデメリットを考えましたが、やはり、正直に名前を出してもらって、さっさとPCR検査をしてもらうのが最善なのではないかと思いました。
当時は、PCRは簡単には受けさせてもらえなかったのですが、濃厚感染者であれば、優先的に受けられたからです。
息子が白であれ黒であれ、PCRをさっさと受けることは、周りへの感染を予防するという観点から考えると、非常に重要だと思ったのです。
私は息子に、すぐにA君に連絡して、前々日の夜に一緒だったことを正直に保健所に言ってもらうようにと頼みました。
その結果、30分後には保健所から1本目の電話が来て、住所などを聞かれました。そして、住所が文京区だったので、これから先は文京区保健所が担当するので、文京区保健所からの指示を待つようにと言われました。
そして、その日の夕方には、文京区保健所から電話が来て、症状の有無や、家族構成、喫煙の有無など、細かい事をいろいろ聞かれたようでした。
幸い、息子はその時点では無症状だったので、2日後に決められた場所で、PCRを受けるようにという指示だけを貰いました。
PCR検査
そして2日後、息子はすでに37℃を超える熱がある中で、徒歩30分もかかる検査会場へとぼとぼと向かい、PCR検査を受けて、帰ってきました。
本当に可哀想ですが、公共の交通機関は利用するなと言うので、自家用車を持たない我が家は、もはや徒歩しか術がないのです。本当に気の毒でした。あと少し熱が高かったら、行けなかったなあと思います。
そして翌日の夜、保健所から電話で陽性を告げられました。その時点では既に、38℃を超える熱があったので、もはや聞くまでもない感じでしたが、それでも、コロナ陽性と宣言されると、やっぱりショックでした。
さて、陽性だったらすぐに病院なりホテルなりを手配してもらえるのかと思いきや、それほど甘くはなく、実際にはさらに2日後、ようやく保健所から、「ホテルが決まったので、2時間後に迎えの車が来るので、すぐに準備するように」との連絡が来ました。実に、A君から電話をもらってから既に丸5日の時間が経っていました。
濃厚接触者の家族も全員PCR!
さて、時間は前後しますが、息子の陽性が確定したので、私たち同居家族は濃厚接触者ということで、PCRを受ける事になりました。息子の陽性確定後、すぐに保健所から電話で指示がありました。
検査場所は、息子の時とは違って、さらに遠い病院でした。濃厚接触者ですので、もちろん交通機関は使えないので、片道1時間10分もかけて歩いて行きました。
病院の前に着くと、防護服の看護士さんがいて、私たち家族の他にも10人くらいの人がPCRを受けに来ていました。
皆さん、一見健常者に見えるのですが、PCRを受けに来ているということは、多少なりとも感染が疑われている人たちなのだと思うと、近くに並んでいる事が、恐ろしく感じられました。まあ実際には、私達も既に感染してる可能性があるわけで、お互い様なのですが…。
PCR検査は、病院の外のガレージというかピロティのような開放的な空間で行われていました。防護服の看護士さんと思われる人が、長い棒を鼻の奥に刺すだけです。一瞬で終わりますが、結構痛い!そしてなぜか娘だけは、両方の鼻に刺されました。ちょっと可哀想…
2日後には結果が出て、結局、私達家族は奇跡的にも全員陰性でした!
でも、陰性陽性に関わらず、濃厚接触者である私達家族の自粛生活はここから延々と続くのでした…。
何しろ、私達は、陰性とは言われたものの、まだ感染者と同居中なので、常に感染のリスクを背負い続けているわけです。
だから、息子が隔離されて初めて、14日間の自粛生活のカウントが始まるというわけです。なんと長いことか!つまり、結果的には家族は全員、23日間も自粛生活を余儀なくされたわけでした。
ちなみに、その自粛生活ですが、私を含め多くの人は誤解しているようなのですが、全く家から出てはいけないというわけではありません!
一応、陰性判定をもらっているので、あくまで自粛であって、隔離ではありません。
保健所の人に直接聞いたところ、日常生活に必要な買い物は、さっと済ませても構わないそうです。全てを宅配にしなければならないとかいうわけではありません。
ただ、もちろん、不要不急の外出や、外食、学校、会社などは行ってはいけません。
息子の隔離
さて、話は息子に戻ります。隔離先のホテルが決まると2時間後くらいにはお迎えが来るので、大急ぎで準備です。
最悪の場合はかなりの長期戦になるかもしれないので、旅行用の大きなトランクに、着替えやら、お菓子やら、インスタント食品やらを、いっぱい詰め込みました。
結果的には、息子の隔離期間は1週間で、その間の食事も十分に与えられていたので、実際には食料はそんなに持っていく必要はなかった感じでしたが。
「お迎えの車が来る」と言われて、私はてっきり、防護服のおじさんが護送車のような車で乗り込んでくるんじゃないかと思っていました。
マンション住まいの身としては、それでは後々肩身が狭すぎるので、お迎え時間の10分前には、息子をマンションの下の物陰に待機させました。
でも、やってきたのはごく普通のワンボックスで、運転手に至っては普通の服装のお姉さんでした。
え?という感じですが、ひとまずこれで誰かに見られていたとしても、彼女と旅行に行った…という言い訳が使えそうで、ほっとしました。
息子の話では、その後もう1人、若い女性が乗ってきて、同じホテルに向かったそうです。彼女も軽症者なので、道中はいろいろ元気に話しかけられたと言っていました。
ちなみにこの時点での息子の病状はというと、傍目から見た感じでは、普通の風邪という感じで、38℃前後の熱と、喉の痛みがある程度でした。
ちなみに、この送迎車の費用は無料でした。家の前から隔離施設まで、なんの心配もなく行けたのは、本当にありがたい事でした。
隔離施設での生活
息子がお世話になったのは、浅草のアパホテルでした。そう言えばニュースで、アパホテルの社長さんが、コロナの隔離施設としてホテルを提供すると言っていたのを思い出しました。
当事者となってみると、それは本当にありがたい事で、あの社長さんのおかげで、息子は無事に隔離されたのだと思うと、感謝以外ありません。今度旅行に行くときはアパホテルを利用したいと、心から思いました。
ここから先は全て息子に聞いた話ですが、ホテルは完全に隔離施設となっていて、他のお客様は完全にシャットアウトで、入口には警備の人がいて、外界との接触はできないようになっていました。
息子が泊まったのはシングルで、ごく普通のビジネスホテルという感じでした。
食事は1日3回のお弁当が無料で提供されました。アレルギーがある人などは特別の配慮があるのかわかりませんが、息子の場合は、決められたメニューで選択の余地はなかったそうです。
食事時間になるとアナウンスがあり、フロアの一角のお弁当ステーションに自分で取りに行きます。電子レンジもあるので、感染者達はみんな、電子レンジでお弁当を温めて部屋に持ち込んで食べます。
お弁当の他にも、簡単なインスタント食品や、飲み物なども自由に取れるようになっていて、意外と充実していたそうです。至れり尽くせりですね。
感染者が自分の部屋から出て良いのは、このお弁当を取りに行く時間だけで、あとは部屋から出ることは許されません。
朝が弱い息子は、朝ごはんタイムに寝坊しては、貴重な3回のうち1回の外出機会を逃していたようです。そうなると、持ち込んだインスタント食品や、前日に弁当ステーションで仕入れておいた食べ物が活躍するわけです。
ホテル隔離中は、朝晩、自分で検溫したり、備え付けのパルスオキシメーターで血中酸素濃度を測定し、アプリに記入します。更に看護士さんから部屋に電話が来て、健康観察も行われます。
これで、熱が下がって3日、且つ発症から10日が経過すれば、めでたく退所できるわけです。
下に隔離施設で渡されたパンフレットを貼っておきます。
息子の場合は、隔離後、意外とすぐに熱が下がったので、問診の結果、1週間後の退院になるだろうと言われていました。
とはいえ、元気だったのかといえば、そういうわけでもなく、隔離後から咳が出始め、苦しかったと言っていました。
ホテルでは治療行為は全く行えないので、咳が出るからと言っても薬は処方されません。
薬がなければ苦しいくらいになったら、もうホテル隔離ではなく、病院隔離ということなのでしょう。
でも、どうしても薬が必要だったら、家族に頼んで買ってきて貰い、ロビーまで届けてもらっても良いと言われたそうですが、息子はそんな事は頼んでこなかったので、私は結局、一度もホテルに物品を届けには行きませんでした。
本当に今が便利な世の中で、隔離中も、息子とはLINEで顔を見て話す事ができ、そういう点ではとても安心でした。
晴れて生還!
息子は予定通り、1週間で無事に退所しました。行きは送迎車でしたが、帰りはもう健常者扱いなので、公共交通機関を使って自力で帰ります。
隔離期間中のホテル宿泊費や弁当代などは、全て無料でした。具合の悪い時に、あんなにボリューミーな物なんて食べられないとか言っている人もいるようですが、私としては本当に感謝しかありません。
必要なのは、帰りの電車代だけでした。
ちなみに、息子が感染した原因となったA君は、一人暮らしだったので、ホテル隔離ではなく自宅隔離だったそうです。自宅隔離になるのか、ホテル隔離になるのか、入院になるのかは、患者の症状や家族構成などを総合的に判断して決められるようです。
しぶとい後遺症
もともと、風邪程度の症状だったので、家に帰ってきた時は、咳が残るものの、ほぼ元気でした。ただ、狭い空間に閉じ込められていたわけなので、体力が落ちていて、疲れやすくなっていたようです。
ところが、だんだんと、いわゆる後遺症がある事がわかってきました。息子の場合は、嗅覚障害として現れました。
甘いとかしょっぱいとかいう味は感じる事ができるのですが、それが何の食べ物なのかがわからないというのです。
味覚は、嗅覚の助けがないとダメなのです!ただ、これまでの経験値があるので、例えばカレーを見ればカレーの味を想像できるので、カレーと認識できるのだそうです。
見たこともない食べ物だったら、多分どんな味か全くわからないだろうと言っていました。
これは、嗅覚を失った事がある人にしかわからない感覚で、私自身も、正直言って、よく理解できません。
このブログを書いている時点で、感染からちょうど4ヶ月が経ったわけですが、最近になってようやく、嗅覚が戻ってきたようだと言っています。コロナ、恐るべしですね。
我が家の感染防止対策
さて、ここまでは、息子の発症から回復への経緯を書いてきましたが、本当に書きたかったのは、ここから先の部分です。
私たち同居の家族3人がいかにして感染を免れたかです。
私達は今、周りにはほぼ感染者はいなくても、街を歩くだけでもマスクをし、レジでも距離を取って並んだりしています。
みんな、それだけ恐怖を感じているわけです。
だったら、同じ家の中に感染者がいる事がわかっているのに、一緒に生活するということが、どれほど恐怖で、どれほど危険か、想像してみてください。
我が家の場合、息子が感染者と接触してから、その事がわかるまでが丸一日半と、非常に迅速でした。その間に息子と食事を共にしたのは、飲み会から朝帰りした日の昼ごはんと晩御飯の2回でした。次の日の昼に、昼ごはんを作っている最中に、感染者と接触した事が発覚したので、その日の昼ごはんから先は、息子の食事はトレイに乗せて、息子の部屋に運びました。
食べ終わると、息子はトレイを台所まで持って来るので、私はそれを、普通に台所用洗剤で洗いました。手袋もしませんでした。
というのは、石鹸や洗剤によってウイルスの膜を破壊できるということだったからです。
感染がわかってからすぐに、息子に専用タオルを渡し、トイレや洗面所に行くときは自分のタオルを持って行かせました。
また、我が家のトイレには、お湯と水の蛇口が付いているので、息子はお湯の蛇口、他の家族は水の蛇口という風に分けました。
そして息子の部屋にアルコールスプレーを置き、部屋から出るときは、まず手指を消毒し、常にアルコールスプレーを持ち歩いて、自分が触ったところはその場で消毒させました。
もちろん私も、1日に2回くらい、思い付いた時には、息子が触れそうな所にアルコールスプレーをかけました。
洗濯は、洗剤を使うので、安全であると考えて、全て一緒に洗いました。
以上は、まあ誰でもやりそうな感染防止対策ですが、我が家で一番画期的だったのは、これ!トイレットペーパーの芯です!
このようにして、ドアノブに通して使うと、手を触れる事なくドアを開閉できるのです!
息子は部屋から出る時は、片手にトイレットペーパーの芯、片手にアルコールスプレーを持っていました。
できることなら、部屋から一歩も出したくないのは山々でしたが、孤独と退屈に負けて、リビングに出て来て喋ったりしていました。
それでも家庭内感染しなかったのは、このトイレットペーパーの芯のおかげかもしれません。
なぜホテルは逼迫していたのか?
ところで、余談ですが、どうして東京のような大きな都市で、隔離施設もたくさんあるのに、ホテルが逼迫したり、ホテルの手配に何日もかかったのか、不思議に思いませんか?
今回、息子から話を聞いて、ようやくその謎が解けました。
浅草のアパホテルと言ったら、ある程度の大型ホテルです。一般客はシャットアウトしていると聞いて、私は、ホテル中に感染者がうようよ溢れかえっている図とか、食事の時に何百個も積み上げられた弁当…というものを想像していました。
ところが、実際には、アパホテルが一度に収容している感染者数は、そんなに多くなさそうなのです。
アパホテルは10階建以上のホテルですが、そのうち当時隔離用として感染者がいたのは、ほんの数フロアらしいのです。あとのフロアは全て空室だったようです。
聞いた話ですが、例えば4階フロアに10部屋あって、感染者が10人いたとします。
仮に一斉に入居したとしても、感染者によって、退所までの期間が異なります。
Aさんは順調に1週間で退所しました。でも同じフロアのBさんは3週間退所できませんでした。
この場合、普通だったら、Aさんが退所した後、掃除してすぐに新しい人を入居させますが、コロナの場合、そうはしないらしいのです。
そのフロアの最後の1人が退所して、更に数日の安全期間が過ぎて初めて、そのフロアの全客室の消毒が始まるらしいのです。
つまり、たった1人でも感染者が残っているうちは、そのフロアには次の感染者を入れられないのです。
というわけで、客室の回転は著しく悪くなります。確かに、自分が掃除や消毒に入るとしたら、そのフロアに感染者がいるというだけで、恐怖だと思うので、これは仕方のない措置なのだと思います。結局、消毒という工程がネックなのでしょう。
とにかく、ホテル内では、感染者と非感染者の動線が明確に区別されていて、息子は隔離期間中一度も非感染者の姿を見ることはなかったそうです。従業員や清掃員の安全はしっかり確保されているのです。
私も実際、息子がホテル隔離された後も、しばらくは息子の部屋には近づかず、部屋を締切にしていました。そして息子が帰宅する直前になって初めて、部屋に入って掃除や消毒を行いました。
感染者と暮らして学んだこと
こうして我が家のコロナ騒動はようやく終結したのですが、この経験から私なりに学んだことがあります。
この「with コロナ」の時代を上手く生き抜くためには、必要以上にコロナを恐れることなく、的確にコロナに注意する事が重要だと思います。
私も、我が家のコロナ騒動の前は、コロナをいたずらに恐れていたのですが、まさに発熱中のコロナ感染者と6日間も同じ家で暮らしても、上手く対処しさえすれば、感染しない事がわかったのです。
感染は、目鼻口からするわけですから、万が一手にウイルスが付いたとしても、すぐに石鹸などで洗えば、まず問題ないのです。
感染者の食器を洗っても、洗濯をしても、キチンと対処すれば別に感染しないのです。
ちなみに、息子は、飲み会で感染したとは言うものの、一応彼らは政府の言いつけを守り、人数を4人に絞り、更に自宅飲みにしていました。
息子はその飲み会では感染者の隣に座っていましたが、結果的に感染したのは息子だけだったようで、一番危険と言われっている感染者の正面の席の子も感染しなかったそうです。
どうして息子だけが感染したのかと言うと、どうやら息子は酔っ払ってガードが緩くなり、感染者と同じラーメンを啜り合って食べたらしいのです。さすがにそれはアウトでしょう!笑笑
なぜ政府が「お酒」にこだわるのかといえば、やはりお酒を飲むと、正しい判断ができなくなるからなのだと思います。ジュースやコーヒーとは違うのです。
自粛生活も、もう1年以上ともなると、感染の恐怖はさることながら、抑圧された生活によって精神を病むことも大きな恐怖です。
友人と食事に行くことは、必ずしも悪ではなく、消毒をキチンとして、静かにさっさと食べてからマスクしてお喋りすれば、たぶん問題ないのだと思います。
そして、もう一つ。我が家で家庭内感染しなかった大きな理由は、対処が迅速だった事です。
息子が感染者と触れ合ってから、息子を家庭内隔離するまで、1日半くらいしか経っていないのです。
その間に私が息子と一緒に食事したのは、まだ息子に症状が出る前のたった2回だけでした。
感染者のA君が、迅速に検査を受け、迅速に知らせてくれたおかげです。実際、知らせてくれるのがあと10分遅かったら、私はその時に作っていたスパゲティを、間違いなく息子と一緒に食べていました。
この、スパゲティを一緒に食べたか、隔離して食べたかというのが、我が家の明暗を決める大きなポイントだったと思っています。もしもこの時点で既に感染していたら、この後どんなに家庭内隔離を頑張っても、もはや手の施しようがなかったわけです。
感染しないに越したことはありませんが、万が一ちょっとでも感染したと思ったら、躊躇うことなく迅速に行動するべきです。
このブログを、1人でも多くの人に読んでいただき、少しでも感染予防の役に立てれば嬉しいです。
2021/5/8